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デザインとの出会い

デザインとの出会い

みなさんこんにちは。

長崎のブランディングデザイン事務所、アルジュナの樋口です。

干し柿がお店に並んでるのを見て、気づいたら2パック手に取ってました。

完全に衝動買い。冬のせいです。

今回はこれまで自分が触れてきた「デザイン」について、

前編・後編の二回に分けて振り返ってみたいと思います。

 

改めて思い返してみても、「この瞬間にデザインに出会った」と明確に言える出来事はありません。

気づけば、いつも身近にあった。

そんな感覚のほうが正確かもしれません。

 

幼い頃から図画工作が得意で、手を動かすことが好きでした。

小学一年生の頃、アニメ『ONE PIECE』の放送が始まり、毎週録画しては繰り返し観て、

好きなシーンを一時停止しながら自由帳にキャラクターを描いていました。

 


尾田栄一郎氏 / アニメ「ONE PIECE」

 

上手い・下手といった評価は関係なく、ただ「描くのが楽しい」

今思えば、その純粋な感覚が原点だったように思います。

いまだに連載が続いていることを考えると、本当にすごい作品だと改めて感じます。

 

中学生になると、興味の対象は少しずつ広がっていきました。

音楽、映画、ファッション。

絵を描く時間は減りましたが、「かっこいいもの」に惹かれる感覚は、むしろ強くなっていきました。

 

当時はサブスもなく、CDをレンタルする時代。

ジャケットを眺め、「なんとなくかっこいい」という直感だけで選んで聴いたりしていました。

 


Good Charlotte / 200年アルバム「The Young And The Hopeless」

 

映画はコメディが好きで、三木聡監督の作品をよく観ていました。

くだらないのに、なぜかクセになる。あの独特の“間”が大好きでした。

 


三木聡監督 / 2005年「亀は意外と速く泳ぐ」

 

ファッションでは、街に住む友人が履いてきたナイキのジョーダン1が、強烈にかっこよく見えて、

ダンクの赤白コンビカラーを買ってもらった記憶は、今でもはっきり覚えています。

 


NIKE / NIKE DUNK LOW
「White and University Red」

 

絵を描く時間は減ったものの、振り返れば音楽も映画もファッションも、

すべて「デザイン」に反応していたんだと思います。

 

高校生になると、「将来どうする?」と考えるようになりました。

 

ファッションへの熱は最高潮で、パリやミラノの最新コレクション情報が掲載された雑誌

「ファッションニュース」「Gap Press」を、何度も何度も読み込んでいました。

 


2007SS「gap PRESS MEN」

 

当時エディ・スリマンが手掛けていたディオール・オム。

ポロックのようにペンキを散らしたジャケットに、サルエルパンツ。

ランウェイの世界感や髪型すべてが格好良かったです。

 


Hedi Slimane / 07AWコレクション「Dior Homme」

 

「こんな服をつくる人になれたらかっこいいよなぁ」

 

そんな思いから、高校二年生の頃に「ファッションデザイナー」という進路が頭に浮かびました。

デザイナーの略歴を調べていくうちに、文化服装学院出身の方が多いことに気づき、

「ここに行けば一流になれるのではないか」と、かなり単純に考えていました。

 

当然、親からは反対され。。。

 

通っていた高校の美術の先生が長崎では有名な絵画の先生だと聞き、

思い切って進路相談に行きました。

 

とても気さくな先生で、話しているうちに興味を持って下さり、

私的に開講している画塾「長崎美術学院」に遊びにおいでと声をかけてもらいました。

 

 

遊びに行くとそこには、油絵の具の匂いに包まれながら、

真剣にキャンバスと向き合う大人たちがいました。

「本気で創っている人たち」を初めて目の当たりにした瞬間でした。

 

すぐに画塾の人たちと打ち解け、通うようになってからは、デッサンや油絵を学び、

久しぶりに絵を描く時間を持つようになりました。

光と影の関係、色が持つ効果。

学ぶことすべてが新鮮であると同時に、アウトプットできない自分の未熟さも痛感させられました。

それでも、「もっと上手くなりたい」「創る側に行きたい」という気持ちは、

次第に強くなっていきます。

 


佐野研二郎氏 /「LISMO!」

 

やがて、デザインの基礎である平面表現に興味を持ち、

グラフィックデザインという分野を知りました。

日常にあふれ、多くの人の暮らしを支えるデザイン。

「これを仕事にできたら、きっと楽しい」

そう思い、テキスタイルデザインとグラフィックデザインを軸に、美大進学を目指すことを決意しました。

 

意外にも、親からは「応援するよ」と言ってもらえ、少し肩の力が抜けたのを覚えています。

 

佐藤可士和さんやミハラヤスヒロさんの略歴に「多摩美術大学」の文字を見つけ、美術の先生に相談しました。

返ってきたのは、「難しいよ」という一言。

 

その言葉で、逆に火がつきました。

 

地元を離れるなら、東京にあるこの大学に行きたい。

根拠のない自信とやる気だけを頼りに、

東京にある多摩美術大学を受験しました。

 

 

結果は、不合格。

現役での不合格を受け、東京での浪人生活が始まります。

 

画塾の先生の紹介で、新宿にある「新宿美術学院」に通うことになります。

場所は新宿三丁目。

一つ路地を曲がれば、急にディープな空気が漂ってくる。

そんなところにある美術予備校でした。

 

 

田舎から出てきたばかりで不安もありましたが、すぐに友人ができ、

気づけば、あっという間に時間が過ぎていきました。

 

生活は極めてシンプル。

昼はデッサンと平面構成の実技、夜は学科の勉強。

一日中、絵のことを考えている毎日でした。

実技の講評では、作品が上段・中段・下段に分けて並べられます。

評価の高低が一目で分かる仕組みです。

浪人生活の序盤、自分の作品はほとんど下段でした。

 


実技「平面構成」/ 新宿美術学院 Blogから引用

 

「まあ、そんなものだろう」と自分に言い聞かせつつも、やはり悔しさはありました。

 

昼休みには、合格した先輩たちの参考作品が置かれた部屋に通い、友人と一緒に食い入るように観察しました。

同じ課題なのに、完成度がまったく違う。

画面の構図、色の使い方、必要な情報の取捨選択。

違いは明らかで、気づいたことを書きとめるようになりました。

 

デッサンでは、柔らかい鉛筆で大きく陰影を捉え、硬い鉛筆で質感を意識しながらハッチングを重ねる。

平面構成では、疎密の強弱、烏口やガラス棒を使い、迷わず線を引く練習を繰り返しました。

 


溝引き / ガラス棒を使って直線を引く技法

 

当然、失敗の連続です。

線は震え、思い通りの形にはなりません。

それでも続けるうちに、少しずつ「手応え」を感じる瞬間が増えていきました。

 

不思議なことに、ある時期から、物の捉え方そのものが変わってきました。

光の当たり方、形のバランス、空間の余白。

意識せずとも、自然と目に入ってくるようになり

「見えるようになってきたかもしれない」そんな感覚がありました。

 

たった一年ですが、この変化は今でも鮮明に覚えています。

自分の成長を実感できたことは、大きな自信につながりました。

 

 

迎えた受験当日。

課題は、

・魚をつかむ両手を想定したデッサン

・「pencil」という文字を使った平面構成

 

デッサンでは、鰻をモチーフに選びました。
手を白く、鰻を黒く描くことで強いコントラストを生み出し、力強い画面を狙いました。

平面構成ではアクリル絵の具を用い、クレヨンをモチーフに、質感を意識して制作しました。

 

試験が終わって、鰻のモチーフについて自慢気に友人に話すと、

「めっちゃいたよ」

その一言で一気に不安が押し寄せました。

その日は落ち込んで帰りました。

 

結果発表は携帯電話で確認する形式。

画面を開くまでの数秒が、異様に長く感じられました。

 

 

表示された結果は、合格。

 

自分の番号を見つけた瞬間、嬉しさが込み上げ、言葉が出ませんでした。

すぐに親に電話をすると、自分のことのように喜んでくれる声が返ってきました。

 

「本当によかったね」

 

その一言で、これまでの不安や緊張が一気にほどけました。

 

田舎の少年が東京に出て、美大を目指して過ごした一年間。

 今振り返ると、人生の中でも特別に濃い時間だったと感じます。

 この経験をさせてくれた両親には、感謝の気持ちでいっぱいです。

 

この経験は、「自分の手でつかみ取った最初の成功体験」として、

今も自信・やる気・感謝と心の支えになっています。

 

次回は、美大生になってからグラフィックデザインを学ぶ日々について書こうと思います。

浪人時代とはまた違う、刺激に満ちた学生生活がはじまります。